鬼は面白い・鬼伝説は霧の中!

鬼はどんなイメージ?

鬼は日本文化の中で現れてきますね。「鬼ごっこ」の遊びから「鬼の目にも涙」などのことわざもあり、鬼のゲームも人気と言われます。さてこの鬼のルーツをたどると、現代にも引き継がれている日本人の根っこにある考え方が浮きあがるように思いますね。鬼は恐ろしい存在と同時に情け深さや守り神として描かれていることもあります。そんな鬼にまつわる伝説をたどることにしましょう。

麻呂子親王伝説

6世紀末の時代の伝説です。6世紀と言えば仏教が伝来した時代と言われ、聖徳太子の時代になります。麻呂子親王の鬼伝説が伝えられていますが、麻呂子親王は用明天皇の子供で聖徳大使は異母弟になると言われています。当時は飛鳥時代と言われ天皇家が勢力を定着させ広げようとしていた時代だったと言われます。また仏教も中国からはいってきた時代であると言われます。そんな時代背景の中で麻呂子親王の鬼伝説が生まれているのです。また、豪族である曽我氏が勢力を強めそんな中で大化の改新起こってきます。

<麻呂子親王の鬼退治>

河守荘三上ケ嶽(こうもりのしょうむいえがたけに英胡(えいご)、軽足(かるあし)、土熊(つちくま)が率いる悪鬼たちが巣くっていた。(河守荘三上ケ嶽は大江山のこと)都で勅命を受けた麻呂子親王は神仏の加護をうけながら大江山をめざします。親王は七仏薬師の法を修め、兵をひきいて鬼鬼退治に向かいます。

途中商人が死んだ馬を埋めようとしているのを見て親王は「この征伐利あらば馬必ず蘇るべし」と祈るとたちまち馬は蘇ります。この馬は竜馬として親王につかえることになります。

馬を進めて生野の里(福知山市六人部地域の生野)にさしかかると老翁が現れ道案内として明鏡(みょうきょう・曇りのない鏡)をつけた白い犬を献上され、雲原村(福知山市雲原)に至り、親王はここで薬師仏七鉢彫刻しました。この地を仏谷といいます。

親王は河守荘三上ケ獄にようやくたどり着き、美胡、軽足の二鬼を討ちとりましたが土熊が見つからず白犬の鏡で照らすと鏡に土熊がうつり退治したと言われます。

「土熊は岩窟に閉じ込めた」「逃れて竹野郡に至り討たれた」などの説もあります。

鬼退治を終えた親王は神徳の加護に感謝して丹後国に天照大神の神殿を営み、その傍らに親王の宮殿(斎宮・さいぐう)を造営したとされ、また仏徳の加護に報いるため丹後国に七カ寺を造り七仏薬師を安置したと言われています。

麻呂子親王にまつわる事柄は丹波、丹後一円の社寺に70カ所以上残されており、鬼伝説を含め丹波、丹後と麻呂子親王の結びつきは強いものがあるようです。麻呂子親王は「金丸親王」「神守親王」「竹野守親王」などと表記されることもあります。

神話世界の時代を探る

この鬼伝説は「日本武尊」(ヤマトタケル)伝説と良くにたところがあるように感じます。天皇家の勢力拡大と神道、仏教との関わり、当時、地方で力を持っていた勢力の関わりなど探っていきたいものです。こうした天皇家の勢力拡大の中で鬼伝説が生まれたと思われますね。まだまだ神話世界は謎が多く霧の中ですが、探っていくのは楽しみになります。

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