源氏物語から現代を紐解く・二十九帖 行幸(みゆき)

行幸とは何

 行幸

行幸は「みゆき」とも「ぎょうこう」とも言われるものです。現代の天皇制度においても使われていますが、一般的には馴染みのない言葉ですね。天皇や皇族の外遊のことです。

朝廷の権威示すものとして御所車や装束も飾りたてて年に何回か計画されていたようです。

現代でもテレビなどマスメディアなどが、天皇が各地を見て回られている様子が流されていますがこれも「行幸」とも言えると思います。正式には宮内庁の文書に記載され、制度が現代でも残り、行幸は行われています。

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行幸のあらすじ

その年の12月に大原野の行幸が行われます。行幸人は着飾り、車も綺麗に飾り付けがしてあります。狩を公家たちもその準備をして参加します。人々はその行幸を一目見ようと見学に押し掛けます。

*行幸は平安時代の一大イベントだったようですね。

*現代では葵祭や時代祭などでその様子を伺い知ることができますね。

 葵祭り

 時代祭り

源氏は行幸から玉葛に宮仕えを勧め、玉葛も宮仕えをすることに気持ちが傾いています。

源氏は玉葛の宮仕えにあたって裳着(もぎ・成人式)を行うことにしています。しかし、宮仕えとなりますと玉鬘の素性を明らかにすることになります。そこで、儀式でもある「腰結(こしゆい・袴などを紐で腰で結ぶ役)」を内大臣の母の大宮の病気見舞いをかねて依頼することにします。

病気を理由に「腰結」は大宮から断られますが、源氏は玉鬘の素性を打ち明けます。

源氏:「実は、内大臣がお世話なさる人を、思い違いがございまして、思いがけず探し出し引き取りました。その時はそういう間違いだとも言ってくれずにいたものですから、しいて事情を詮索することもいたしませんで、ただそうした子供が少ないので、口実であっても、なに構うものかと、自分勝手に納得して、いっこうに親身の世話もしませんで、年月がたちましたが、どういうことでお耳にあそばしたのやら、陛下からお言葉を下し置かれることがございました。」

と話します。

*源氏の話は現代では分かりずらいものがあると感じますが、自分の心を覆いかくしながら陛下の言葉として重みをもたせた話術は、説得させる力を持ったものだったように思います。

*少し回りくどさは感じますが、現代社会でも使うことのできるものかも知れませんね。

源氏と内大臣の対面

源氏とに内大臣が久しぶりに出会う事になります。二人は夕霧と雲居の雁の問題などで仲たがいとなっていましたが、出会えば雨夜の砂定めの件など昔を思い出し意気投合するようになっていきます。

源氏はそこで、玉葛のことを話していきます。

「本当に胸にせまる話です」「あの当時からどうなったのか探していたのですが、今それなりに地位につきますと、かつてのつまらない関係を口実に名乗り出てきます。愚かしく見苦しいと思ううのですが、それはそれとして、可愛く感じる時もあります。そんな時いつもあの子(玉鬘)のことが胸に浮かんだものです。」

*源氏と内大臣は権威を争っていても亡き葵の上の関係で義兄弟ですね。

玉鬘の裳着(成人式)は各界から立派な贈り物が届き無事執り行われました。

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