神話を知る・私たちはどこから来たのか

私たちはどこから来たのか

天皇の生前退位が行われ元号が「令和」になりました。改めて天皇と日本の起源について考えてみました。日本の歴史は「古事記」や「日本書記」から知ることもできますね。

「古事記」や「日本書記」は解説つきを読むのですが、古い言葉で書かれているのでなかなか理解することができません。

でも「古事記」は面白いですね。

「天孫降臨」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天孫降臨(てんそんこうりん)とは、天孫邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大御神神勅を受けて葦原の中つ国を治めるために、高天原から筑紫日向[1][2]高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと。 邇邇藝命は天照大御神から授かった三種の神器をたずさえ、天児屋命(あまのこやねのみこと)などの神々を連れて、高天原から地上へと向かう。途中、猿田毘古神(さるたひこのかみ)が案内をした。『記紀(古事記と日本書紀)』に記された日本神話である。

 

中大兄皇子(天智天皇)らによる蘇我入鹿暗殺事件(乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん))に憤慨した蘇我蝦夷は大邸宅に火をかけ自害した。この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上したと言われる。『天皇記』など数多くの歴史書はこの時に失われ「国記」は難を逃れ天智天皇に献上されたとされるが、共に現存しない。天智天皇は白村江の戦い新羅連合に敗北し、予想された渡海攻撃への準備のため史書編纂の余裕はなかった。その時点で既に諸家の『帝紀』及『本辭』(『旧辞』)は虚実ない交ぜの状態であった。壬申の乱後、天智天皇の弟である天武天皇が即位し、『天皇記』や焼けて欠けてしまった『国記』に代わる国史の編纂を命じた。その際、28歳で高い識字能力と記憶力を持つ稗田阿礼に『帝紀』及『本辭』(『旧辞』)などの文献を「誦習」させた。その後、元明天皇の命を受け、太安万侶が阿礼の「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を編纂し、『古事記』を完成させた。

日本の成り立ちが書かれていますが神々が日本を作ったという神話です。

世界神話がありますが、日本神話とよく似た話がありますね。

「世界神話学入門」

を読んでいると人類の起源は700万年前、アフリカを起源として人類が世界に広がる歴史ですね。その広がり方はDNA分析など最先端技術の先端や新な遺跡の発見などで徐々に明らかになりつつあると言われます。

天皇の証として引き継がれる「三種の神器」のうち「勾玉」は飾りでもありお守りなどであったと言われます。勾玉・ヒスイ文化は縄文時代の前期5500年前からの遺跡から発見されています。

原始人類のネアンデルタール人・15万年前の女性は牙や魚、鳥に骨を糸に通して髪を結い上げ化粧をして、男は全身に彩色をしていたと言われます。こうしたものは死者に対しての祈りも込められていたようですが、この文化は形を変えながら各地に広がっていったようです。こうしたものが勾玉になっていったのではないかと考えられます。

「日本人はどこから来たのか」はアフリカを出発した人類はシベリアから北海道ルート、中国、朝鮮半島のルート、台湾から沖縄ルートの説が生まれていますが、こうしたルートから入った人たちが縄文人や弥生人となり日本人が形づけられてきたのでしょうか。弥生から魏志倭人伝にの卑弥呼、大和大和朝廷、そして現代につながってきたのか、史実と神話の生まれた経過をたどことは面白いですね。

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