源氏物語を41帖まで読み進めると源氏物語が現在の私たちの暮らしや生き方と共通するところが多くあるように思います。
人の一生は長いようで、短いものです。源氏の年齢は52歳、明石の君は43歳、明石の中宮は24歳、匂宮は6歳、薫5歳、夕霧31歳となっています。最愛の明石の君を亡く悲しみは強まるばかりです。春になり、源氏は出家をしようとする思いを一層募らせるようになっています。
氏:「大空を通ふまぼろし夢にだに見えこぬ魂の行方たづねよ」
(大空を自由に飛び回る幻術士よ、夢にも現れない紫の上の魂の行方を探し出して欲しい)
紫の上を亡くして1年と言う時間が流れています。最愛の人を亡くして我が人生を振り返ることも増えています。少しづづながら出家の準備をはじめています。仕えているものたちにも形見の品も与えはじめています。これが最後だと言う言葉や態度は見せないようにしていますが、ますが、まわりのものたちにはわかるものです。年の暮れゆくのも、心細く、悲しみは限りなく深いものになっています。
源氏は人目に触れるとまずい手紙を女たちから数々もらっていますが、破捨てたものもありますが、捨てがたく思い残しているものも沢山あります。須磨の時代の紫の上からの手紙はひとまとめにして残しているのですが、たった今書いたばかりのように、読み返してみると二十数年前のことが昨日のことのように思い出されます。手紙の整理をしながら思いにふけっています。
「御仏名も、もう今年だけだとお思いになるからか、例年より格別に、錫杖の声々などしみじみとお感じになる。御長命を祈願いたすも、仏がどうお聞きなさろうかとお耳がいたい。
雪がたいそう降って、すっかり積もってしまった。導師が退出するのを、御前に召して、お盃など、いつものしきたりよりも格別になさって、特に禄などをお与えになる。
年来久しく参上して朝廷にお仕え申して、見つけていらっしゃる御導師が、頭が白くなって侍座するのも、胸にしみてお思いになる。
いつものように、親王たちや上達部などが大ぜい参上なさった。
梅の花が少しほころびかけて、雪に輝いているところは趣があり、管弦の御遊などもあって良いのだが、やはり今年じゅうは、楽の音もむせび泣きになる気がなさるので、折にあったのを誦じたり遊ばすだけである。)
源氏:春までの命も知らず雪のうちに色づく梅をけふかざしてむ
(春までの命かどうか。この雪のうちに咲そめた梅を今日かざしにしよう)
導師:ちよの春見るべき花といのりおきてわが身ぞ雪とともにふりぬる
(千代の春を見る梅の花と君の長寿をお祈りしました。わたしほうは雪とともに年ふりましたが)
年が明け匂宮が追儺の儀式で「鬼やらい」するのに走りまわっていらっしゃる。「このかわいらしいお姿を見なくなるのだ」と、何につけても我慢ができない。
*追儺、鬼やらいは現代の節分(鬼は外福は内の行事)。
*この帖で現代で言う終活を行っているように思いますね。高齢化社会を考えるのも良いと思いますね。
雲隠
巻名のみで、空白の八年間です。記事がなく源氏は亡くなっています。
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