西郷どんと西郷星

「西郷どん」はいよいよ西南戦争に向かって動きはじめます。

そもそも西南戦争とはどのような戦いだったのでしょうか?

西郷隆盛没した西南戦争後に大きな輝きを持った星が現れたと言います。人々はその星のことを「西郷星」と呼んだと言います。

(西郷星錦絵)

この「西郷星」と言われるものは、この年、火星の大接近の年であり、当時は天文学も知られていない時代で、異様に明るく輝く光も中に陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿を見たという噂が広がり、「西郷星」として錦絵が何枚も売りだされたと言います。

このように西郷隆盛は多くの人に慕われる存在だっことが、このことをとってみても伺えます。

西南戦争と明治10年(1877年)に西郷隆盛たちが鹿児島で世代に明治維新政府に不平を抱いた士族の戦い、大河ドラマ「西郷どん」も西郷隆盛の最後の戦いが描かれて行きますね。これから山場になり見過ごすことができなくなりますね。

西郷隆盛は何か自らの意思で生きた人物でなく、時代に求められた存在だったような気がします。明治維新前と維新後で西郷は変わると言われます。

確かに維新前では薩摩を代表して京都、江戸、長州、薩摩と活動的に動き、朝廷工作を行い、それぞれの立場をまとめあげる誰もが出来ないネゴシエーターであったと言われます。

しかし、維新後は鹿児島の山に籠り開墾しながら隠遁生活を行い生活スタイルは大きな変化をさせます。この変化をもたらした原因は何のかが西郷隆盛の謎と言われます。

隆盛のこの変化は幼少のころからのケガや病気が多く、幕末からの無理が持病のフィラリア症が悪化して一時的に気力、体力が落ちた時期だったいう説もあります。

「飛ぶがごとく」の司馬遼太郎さんは、「西郷は狩りで転倒し、頭を木の根っ子にぶつけて昏倒、脳に傷を負った」と言う突拍子もない説を書く方もいます。西郷の変化は体調が起因することなのかもしれませんね。

この体調の変化も西南戦争に突入する一因かもしれません。

西南戦争の原因

西南戦争は「西郷を中心とする鹿児島県士族の反政府暴動」と書かれるものもありますが、西郷と維新政府「征韓論」・政策の違いの争いも原因とされています。西南戦争はもっと意味があるものだったのではないかとも思います。

西郷隆盛の考え方は、「江戸の無血開城」などのを見ると「平和主義」だったと言われます。また、「重農主義」(農を基本にした国づくり)だったと言われます。西郷の理想郷は農を中心としたもので、菊次郎に農業を学ばせようとアメリカに留学もさせ、自らも開墾をしています。

こうしたことから、農業をしながら平和に暮らす世界を理想郷としていたのかもしてませんね。それは、幼い頃から豊かな自然に囲まれた暮らしの中で西郷の根底にある考え方であり、それに反する時の政府にたいして抵抗することが西南戦争であり、西郷の生き方だったように思います。

「西郷星」は西郷の生き方を示す星だったのかもしれませんね。

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