源氏物語から現代を紐解く・玉鬘(たまかずら)

 玉鬘

源氏物語・玉鬘とは

源氏物語の人名では植物からの名づけられたものが多いですね。二十二の帖の玉鬘(タマカズラ)ですが、玉鬘は支えがないと立つことができますが、支えがあるとどこでも蔓を伸ばす植物と言われ、都から離れ都に帰ってきた夕顔の子供の姫君の境遇からつけられたとも考えられます。

玉鬘のあらすじ

*源氏物語の四帖に登場する夕顔の子供の話です。

湯顔には頭中将との間に子供がありますが、頭中将の正妻に脅され隠れ住んでいる時に源氏が接近し、契りを結びますが急死をしてしまいます。源氏は夕顔の女房・右近を二条院に引き取り紫の上に仕えさせます。

夕顔の急死から22年の月日がたっています。源氏は太政大臣になり六条に立派な舘を構えて過ごしていますが、今でも夕顔のことを忘れないでいます。

玉鬘は夕顔に仕えていた乳母に育てられます。乳母の夫は九州の太宰の少弐で筑紫の国で暮らしています。

夫の少弐は玉鬘を必ず京に連れ戻すように遺言をし病死してしまいます。

玉鬘は美しい娘に成長していきます。その美しさの噂を聞いた人々は玉鬘のもとにきます。その中でも肥後の国の大夫の監は実力者でもあり執拗に求婚をしてきます。大夫の監は荒く強引な人物で、乳母は長男の豊後の介は玉鬘を連れて九州を脱出することにします。

(当時は九州から京までは,瀬戸内海の船旅で、一週間はかかり、途中海賊が出ることもあり安全ではなかったようで,厳しい旅だったようです)

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都についたものの、落ち着き先のあてもなく、ひとまず昔知り合いだった九条に住む人のところを探し出し、落ち着きます。しかし、父である内大臣(頭中樹)に合うための仲介者も見つからず生活は困窮していきます。

長男の豊後の介は神仏に頼むように薦めます。初瀬詣でに行くことにします。

*初瀬は奈良県の長谷寺のことで、当時貴族の間では観音信仰が盛んだったと言われます。

玉鬘一行は宿場で宿を取り休んでいると、どこかで見たことのある顔を見ます。夕顔に仕え、今は源氏に仕えている右近も参拝に来ていたのです。これこそ神仏の引き合わせと喜びます。

右近は京戻り源氏に玉鬘一行と出会ったことを報告します。

源氏は父である内大臣に引き合わせることはしないで娘分として引き取ることを考えます。「内大臣は子供が多く世話がなかなか行き届かない環境にあると思うから、子供が少ない私が引き取ることがふさわしい」と身勝手な理屈で引き取ることにします。

*源氏の行動の捉え方として、「引き取る」ことに人情の厚い人物というとらえ方と欲望や私欲によるとする見方があるようです。

しかし、引き取るにしても田舎で育っているのもなのでどんな姫なのか知るために歌を贈ります。

源氏は「知らずとも訪ねて知らむ三島江に生ふる三稜(ミクリ)の筋は絶えじを」

と詠み贈ります。

*歌の意味は、あなたは今まで知らずにいたとしてもやがてするはずだ。実父の内大臣と源氏は義兄弟で切れることのない因縁で結ばれているような意味と言われます。

*三稜(ミクリ)は沼などに自生する多年草の水草で筋が多く血筋と読まれます。

玉鬘の歌は「数ならぬみくりや何の筋なればうきにしもかく根をとどめけむ」

*我が身はどんな筋合い(縁)で三稜が沼に根をおろすようにこのうき世に生まれついたのだろうというような意味と言われます。

こうして玉鬘は二条院で暮らようになります。

*源氏物語は解釈の仕方で理解が違うこともありますね。このことも源氏物語の面白さかも知れません。

*源氏物語には色々なゆかりの地域や寺などがありますね。一つ一つ訪ね歩くのもよいかも知れませんね。

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