鬼と種類・鬼を学ぶ

 

鬼に関心が高まっているようです。鬼とは何なのでしょうか。鬼とは私たち人と切り離すことの」できない存在のような気がします。鬼は日本のみならず世界中に存在しますね。鬼と言う言葉は使われないかもしてませんが、魔女やゾンビの部類も鬼としてみてはと思います。人の心の内側を映し出しているのが鬼の存在だとも言われます。

日本の鬼伝承と民族信仰

「世界鬼学会」の主催で鬼の学校が開催されました。「鬼とは何か」と仏教大学歴史学部の八木透先生の講演を聞きましたが実に興味深い内容でした。

節分と鬼の関わりは良く知られるところですが、この節分は平安中期から宮中で行われていた「追儺」(ついな)に由来し言われています。追儺元々は大晦日に行われた行事で疫鬼を祓う(神に祈って、罪や穢れ、災いを取り除く)ことを目的とした行事で「鬼やらい」などとも呼ばれています。

大晦日は旧暦(太陽太陰歴)では12月30日または12月29日がその年の最後の日とされていますが、神道と関わりをもった歴で「年神」を迎える行事です。現在は立春の前日の2月3日ころの節分に「福は内鬼は外」と言って豆をまき鬼を退散させる行事となっていますが、節分は年に立春、立夏、立秋、立冬の4回ありますが、立春の節分が良く知られる行事になっています。

吉田神社の節分

京都の吉田神社の節分祭が有名ですが、この神社は古式を再現し大舎人(おおとねり・律令制で、大舎人寮に属し宮中で宿直・警護など雑事に従事した人)黄金四ツ目の仮面を被り「方相氏(ほうそうし)(追儺の時の悪鬼を祓う役)に扮して陰陽師が祭文を奏す中で方相氏が大声をあげながら厄鬼を追い払います。

大江山の鬼伝説に見る鬼

酒呑童子は妖怪変化の鬼として有名で、大江山に住み、都の姫をさらってきて大江山で酒盛り三昧をしており帝の命を受けた源頼光一行が酒呑童子をうつと言う伝説ですが、大江山周辺にはいくつかの伝説が残されています。

①麻呂子親王伝説

6世紀末の用明天皇時代河守荘三上ケ嶽に英胡(えいご)、軽足(かるあし)、土熊(つちくま)に率いられた悪鬼が集まり人々を苦しめていたので、勅命を受けた麻呂子親王が神仏の加護を受けて悪鬼を打ち破り世は平和になったという伝説です。

麻呂子親王は用明天皇の皇子で聖徳太子の兄弟のにあたり、聖徳太子の分身として武にかかわる活動を受け持ち、鬼退治伝説という異賊征服伝説になっていったことがうかがえます。当時は疫病や飢饉などが起き、怨霊が災いをもたらすなどの考え方もあり農耕の無事を願って麻呂子親王伝説が作りあげられていったとも言われます。

②酒呑童子伝説

平安京は摂関貴族の繁栄の時代でもあり、その陰では過酷な生活を強いられていた多くの人々もあり、その暮らしに耐え、抵抗した人々の象徴が酒呑童子であったも考えられると言われます。その伝説は14世紀の南北朝時代ごろまでに形がつくられ、その後、絵巻ものや能、歌舞伎や人形浄瑠璃などにな物語となっていったものだとも言われています。

源頼光と童子の語りの中で「比叡山を先祖代々の所領としていたが、伝教大師に追い出されて大江山にやってきた」「用明天皇の嘉祥2年(849年)から大江山に住み着き、大威も民力も神仏の加護も薄れる時代を待っていた」とあり神仙の不老不治や仙人の思想も影響も受けていると言われます(不老不治の鬼)。

また、童子は憧形の稚児で神の化身、山の神や土着の神とも言われますが、仏教の象徴であった天台仏教によって土着の神が追われていくことが鬼伝説であるとも言われます。

鬼は人の心に宿る姿

源頼光は鬼の仲間と言って酒呑童子に近づき鬼毒酒を飲ませ童子と一党を倒すのですが、この時、童子は「鬼に横道なし」と語ったと言われます。仏教や陰陽道にとって異端であった「鬼」を退治するという朝廷や武士への抵抗であり、朝廷や武士によっての自然破壊の抵抗としての鬼の姿で、絶対悪でないのが鬼の存在とも言われます。

鬼女伝説も各地にありますが、裏切りなどにより鬼女になっていく姿です。「嫁脅し肉付き面」は福井県の伝承ですが、百姓の嫁の清が夫と死に別れ、子供にも先立たれ蓮如の教えに傾倒し御坊参りをしていたが姑は仕様と鬼の面をかぶり脅し邪魔をしようとしましたが、清の信仰心が強く脅しがきかず、姑は鬼の面を取ろうとするが取れなくなり、清の信仰を信じることでようやく鬼の面が取れたという話です。

これらは、人の心を鬼に例えて女性の精神状態を鬼に例えたものです。男の心変わりへの嫉妬、背信、裏切りや恨みから鬼と化する姿。自らの過失や懺悔、後悔などで鬼化する姿などが伝承となっています。

まとめ

講演を聞き、鬼とは恐ろしいものではありますが、宗教や文化や人の心など色々な要素が重なりながら生まれてきたもので日本文化に深く根付いているように思います。日本の風土や文化の中で人間の強さや弱さがにじみでているように思います。鬼を考えることは意義のあることで、もっと鬼について考えていきたいものですね。

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