栗城 史多氏の遭難死と登山の思想を考えて見た

栗城氏の遭難

栗城氏が8度目のエベレスト登山を行い途中体調を崩し、下山中の5月21日にキャンプ2近くで死亡したとのニュースを見ました。

栗城氏のことはインターネットで、たまに見るくらいでどんな登山をされていたのか余り知りませんが、栗城氏の登山について登山家ではないとの悪評価や応援する評価もあり、登山の内容やスタイルについて幾多の評論が生まれていますね。

登山について考えるため、古い冊子を読みかえしてみることにしました。

評論することはたやすく、その人物をあまり知らないで簡単に評論したくはありません。多くの評論は登山をしたことのない人の評論もありますね。

登山とエンターテーメント

評論は登山家の思想と登山技術に関する評論が多いように思います。栗城氏の登山は現代のエンターテーメント・ネットで登山の模様を配信すると言う登山スタイルで登山を行った人物だったようです。

テレビでヒマラヤ登山の様子が生中継された時期がありました。この時期にこれからの登山がエンターテーメント的な要素が入り、家庭のテレビで登山の様子が生中継される時代になってくると言われたことがありました。登山は確かにそんなことが行われるようになってきていますね。また、ガイド付きの商業的登山も増えてきているようです。

現在、登山内容も大きく変わってきている時代です。しかし、もう一度登山と言う行為について考えなければならない時代になっているのかも知れませんね。

世界的に有名な登山家のラインホルト・メスナーの「K2 七人闘い」を読み返してみました

ラインホルト・メスナーは次のように語っています。

「アルピニストたちが、どこかの国旗の切れ端を押し立てることだけが目的であるように振舞わなければならなかった時代は、幸いにして終わった。」

「もしアルピニズムが存在理由をもたなければ、いやもっと正確に言えば、存在理由をもたないアルピニストが若干でもいれば、それはわれわれの責任でもある。

マスコミはそういう連中がいることで稼いでいる。

そしてマスコミはわれわれの活動についてまったくばかげた、まちがった姿を伝えている。

一方われわれのほうもそういう状態を変えるために何もしていない。

いや、時にはわれわれ自身も、まちがった姿を信じこんでいる。」

ということが書かれていました。現在、こうした議論が行われているのでしょうか。こうした、議論を今一度考えていく時代になっているように思えます。

三田博雄氏の「登山の思想史」を読み返して見ました

「なぜ山に登るのか」

「ヨーロッパの近代は科学技術の成立と山登りでもって始まる。・・・ジェームズ・ワットの蒸気機関車の完成。

カートライトの機織機の完成とアルプスのモン・ブラン(4807m)の初登頂(1786年8月7日)は同時であった。

それは、化学技術も山登りも人間の行為の両極を代表しているからである。」

当時の山は「魔物が住む」としておそれられ、また、人間の力では登ることの出来ないところと思われていました。

科学技術も山登りもどちらも人間の持つ力を尽くして行われたことからこんな言葉が生まれたと思います。

この冊子は、北村透谷、志賀重昂、小暮理太郎、武田久吉、田部重治、大島亮吉、加藤文太郎、高村光太郎、今西錦司の各氏のことが書かれています。

日本の登山の黎明期に活躍された方々です。日本の登山の黎明期においては、登山は詩や文学との関わりも深く、日本人と山と自然の関わりを方知ることができます。

日本の近代的登山は明治以降にヨーロッパから近代登山が導入されて始まっていきますが、現代においても、今一度日本の登山の黎明期の姿を振り返り、メスナーが語る「アルピニスト」とは何かを考えることが必要かも知れません。

登山の有り方を考える上で古き山の文書を読むことも大事だと思います。

*こうした考え方は現代の情勢にそぐわない考え方かもしれませんが、「安全に登山活動」を続ける上で大事なことかも知れませんね。

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