大河ドラマ明智光秀と戦国時代の謎

 明智光秀

明智光秀とは

戦国時代の謎とされているのが明智光秀の本能寺の変と言われています。

なぜ明智光秀は織田信長を襲ったのか。色々な説があり、50説くらいあるようです。

大きく分かれると主には、恨み説、陰謀説、野心説などがありますが、まだ決定的な証拠が示されずにいます。このことを掘り起こしたり、推理したりすることは知的好奇心に繋がり楽しいものです。

戦国時代の最大の謎とされる明智光秀が大河ドラマになる事が発表され関心が高まっているようです。どのようなドラマが描き出されるのでしょうか。俳優の演技も楽しみです。

明智光秀は戦国時代の映画やドラマでは良く登場しますが、主人公としては初めてな事ではないかと思います。

さて、明智光秀とはどのような人物だったのでしょうか。「謀反人」「3日天下」「頭脳明晰な真面目な人物」などイメージされる方も多いのではないかと思います。

明智光秀の前半生はほとんどわかっておらず、後半生の僅か14年間くらいで歴史舞台に登場することになります。また史実とされるのは「信長公記」や「明智軍記」という江戸時代の元禄に書かれたと言われるものによるところが多いいようです。

歴史的文書は時の権力者思惑や書いた人の主観も入ることがありますので史実を浮き彫りにすることは実に困難な作業だと思います。

 「明智光秀の生涯と丹波福知山」

福知山市が「明智光秀の生涯と丹波福知山」という冊子を発行していますが、読むと、わかりやすく解説がしてありますので、お問合わせをされたら良いと思います。

発行者:福知山市役所

TEL:0773-24-7069

住所:〒620-8501 京都府福知山市字内記13番地の1

明智光秀を巡る旅

<福知山市の「福知山城」>

福知山城は昭和61年に天守閣が復元され、天守閣は資料館になっています。

 福知山城

 福知山城の石垣

(明智光秀が築城)

*明智光秀のかかわりや関連した史跡は沢山ありますね。今後紹介していきたく思います。

明智光秀の人物像

教養の高い人物であったと言われます。本能寺の直前に「百韻連歌」という歌会を行い「ときは今あめが下知(したしる)五月(さつき)かな」と詠みこの歌が自分が天下を取る時だと言う意味であると解釈されと言われます。

「とき」とは光秀の出身の美濃(岐阜県)の守護土岐氏の一支族の土岐明智の出身であることから語り、「あがめる」とは天下に命令する意味だとされます。

いずれにしてもこうした歌を詠める素養からかなりの知識人だったと思われます。光秀の素養は幼い時からの教育が深く影響していると思いますので、かなり身分の高い環境下で学んだ人物だったように思います。

土岐支族は、南北時代から戦国時代にかけて美濃国守護を務め室町幕府の侍所頭人として五職の一角を占め、最盛期には美濃、尾張、伊勢の三か国の守護大名であったと言われますので、財力もあり教養を身につける環境のもとで、頭角を現した人物だったような気がします。

*明智光秀については今後書いていきたく思います。

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