道産子とアイヌ民族は日本のルーツ?

朝ドラの「なつぞら」から魅力を感じる北の大地、北海道

道産子に乗り大地を走るなつ、スキー競技大会、酪農など北海道の魅力が描が枯れています、北の大地は魅力がありますね。

なつが馬に乗るシーンは馬に乗り買い物などに行くと楽しいかも知れないと思います。馬に乗ることは運動になりますね。馬は憧れになりそうです。

北海道は、魚介類がや農畜産物のジャガイモ、トウモロコシ、ブルーベリー、牛乳やラム肉など上げればきりがないですが、食の宝庫の地だと思います。また広い台地が広がり自然豊なところですね。

しかし、北海道のことを知っているかと聞かれるかと意外と知らないことが多いように思います。

北海道も深い歴史が刻まれた地域でもあるようです。古くは蝦夷と言われていた地域ですが、アイヌ民族が住み、日本の成り立ちにも関わりがあるアイヌ民族は縄文人と関係するとも言われています。

「国立科学博物館などの研究チームは13日、北海道・礼文島の船泊遺跡から発掘された約3500~3800年前の縄文時代後期の女性人骨から全遺伝子情報(ゲノム)を高精度に解析したと発表した。論文は近く、日本人類学会の英文誌に掲載される。」・・・文引用

縄文人は「解析の結果、縄文人の祖先は約1万8000~3万8000年前に、中国大陸に住む現在の漢民族との共通祖先から分岐したと推定。ロシア極東部から朝鮮半島、台湾の先住民など東アジアの沿岸部の集団と遺伝的に近く、比較的少ない人口集団で狩猟採集生活を続けていたことも分かった。」

『日本書紀』欽明天皇15年(554年)、百済が朝廷と会談して、援軍千人、馬百匹、船四十隻派遣の約束をした記事があり、6世紀中頃にもなると、日本が馬を軍事的に海外へ輸出する状況もあった。・・・文引用

と言われますが、これからもっと、北方から日本列島に入ったルートや日本人の成り立ちの解明が進んでいくことと思います。

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大仙陵古墳 とその謎

古墳の不思議

日本で古い古墳で有名なのは、奈良県にある纏向遺跡の中の箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないかと言われていますが、一説には魏志倭人伝に登場する卑弥呼の墓ではないかと言われることがあります。

『ウィキペディア(Wikipedia)』

周辺の周壕から出土した土器の考古学的年代決定論により箸墓古墳の築造年代も卑弥呼の没年(248年から遠くない頃)に近い3世紀の中頃から後半とする説もあるものの、近年炭素14年代測定法では50-100年程度古く推定されることが明らかとなっている。

墳墓からは種々の特殊埴輪類が出土しており、また周壕の基底部から馬具(木製の輪鐙)が出土していることから、4世紀中期以降の可能性もある。

「迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として管理されている」

などと言われ作られた年代わからないようです。現代科学でも年代特定は難しい面があるようです。当時の日本の様子は魏志倭人伝などでわかるように中国の資料に頼ることが多く日本の文字文化はなく難しさがあるようです。

大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」について、 ユネスコの諮問機関は、登録することがふさわしいとする勧告をま… … これにより、「 仁徳天皇陵」として管理されている国内最大の前方後円墳などが、ことし世界文化遺産 に登録される見通しとなりました。

… 埋葬された人物の地位により大きさや形が様々な古墳は、日本列島における古代王権の成り立ちを表す遺跡とされています。

仁徳天皇陵は大仙古墳とも言われています。規模は日本最大でエジプトのクフ王のピラミッドに匹敵する規模と言われています。

大林組による算定にあたり、いくつかの前提・推定が与えられている。
計画の前提条件
建設時期は現在(1985年)とし、仁徳天皇陵と全く同規模の墳墓を古代工法により再現する
建設の範囲は墳丘・2重濠までとし、3重目の濠や陪塚は含まない
工事は現代人が古代工法で行い、古代工法は古墳時代当時の土木工事に従う
建設場所は現在の陵の敷地とし、地表は雑草・灌木に覆われた洪積台地とする
客土材は陵の西側の土取り場より採取する。葺石は石津川から採取する
工事関係者の労働条件・労働賃金などは現在の社会に従う
施工条件
建設用工具は鉄製または木製のスキ、モッコ、コロを使用する。
労働者はピーク時で1日2000人とし、牛馬は使用しない。
作業時間は、1日8時間、ひと月25日間とする。
建設事務所は陵の敷地内、労務宿舎を客土採取場の中に置く。
その他前提条件
作業員数をピーク時で日当たり2000人と設定
伐開除根面積は36.86万平方メートル
墳丘土量140.5866万立方メートル、外濠掘削・盛土13.9万立方メートル、内濠掘削・盛土59.9万立方メートル、客土掘削・盛土74.2万立方メートル
葺石536.5万個(1.4万トン)
埴輪1.5万個
葺石運搬のための水路を掘削
埴輪の製造は工事見積もりに含まない
見積もりした工程別の施工期間
伐開除根・地山均し:3.3ヶ月
測量・地割・丁張りほか:2.3ヶ月
外濠掘削・盛土:11.4ヶ月
内濠掘削・盛土:46.1ヶ月
客土掘削・盛土:103ヶ月
葺石運搬用水路掘削:5.2ヶ月
葺石採取・設置:142ヶ月
埴輪設置:48ヶ月
石室工事:6ヶ月
運搬路撤去:6.1ヶ月
後片付け:3.2ヶ月
総工期:15年8ヶ月(並行工程があるため上記合計より短い)
見積もりした工程別の作業員数
土掘削:67万人
土運搬:446万人
盛土:24.3万人
伐開除根、測量、排水工事その他:43.4万人
葺石採取と選別:8万人
葺石運搬:9万人
葺石設置:2.5万人
埴輪工程:埴輪製造の作業員については不確定要素が多く除外
施工管理:作業員10人に1人の世話役を配する労務編成を単位とし、ピラミッド型の階層構造になっていたと想定
総作業員数:680.7万人
総工費:796億円(1985年当時の貨幣価値)

引用

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